どこででもひとり

インドネシアに滞在中でした。日本に帰っても、一人で過ごしています。

ドリアン

 ドリアンなんて、大っ嫌い、と言い切ることが出来れば、どんなに楽なことか。ドリアンは、みんな、くさいとかいうけどね、あたし好き、大好き!と言えたなら、どんなに素晴らしいことか。

 ドリアンを、あれば、食べるし。なければ、食べない。

 ジャカルタにいた時、住んでいた場所から細い道を少し歩けば、大きな道に出る、そして、おれが出た場所から道を挟んだそこにはドリアンの屋台があった。

 ドリアンが大量に積み上げられていて、山を成していた。側に、赤いビニールシートがかけられた、薄い木の机と、細い足のプラスチックの椅子が並べられていて、そこで、店主が大きな包丁でかぽーんと割ったドリアンにむしゃぶりつく。

 そういう露店でたべるものは、例えば、縁日の、キャベツと、妙に分厚い生地と、妙にうっすい豚肉に、どろんとソースがかけられたお好み焼きみたいに、より美味しく感じる傾向にあるが、そのドリアンは、家で食べるものよりも美味しいという訳ではなかった。

 ドリアンは精力剤の効果もあるらしいから、風俗街の近くには、ドリアンの屋台が多くあったような気がする。 

 大概のスーパーマーケットにも、ドリアンの山があり、たまに、むき身がパック詰めにされて売られていて、それを買って帰ったこともあったが、甘いが、おいしくは感じなかった。

 全部は食べきれなかったから、それを冷凍庫に入れておいたのである。そして、凍ったものは、美味しかった。でろんとした、少し硬めのアイスクリームのような。味はバナナを凍らせたものに近かった。

 ドリアンアイスなるものもあり、形状はごく彩色のアイスクリームであったが、においはあのにおいだった。

 ドリアンについての記憶を掘り返してみるけれど、やっぱり、面白くないものしか出てこない。ドリアンの面白い記憶を求めて……

 

 

 

 

風俗店に行ったことはあるが、風俗店に電話をかけたことがない

 昨日、風俗に行こうと思い立った。

 風俗には去年の夏に初めて行った。深夜バスに乗り、早朝、街に着き、約束まで時間があったので、風俗に行った。

 早朝だと安くなるという事を、電車に乗り、風俗街に向かいながら知った。

 普段の料金よりも5千円も安くなるのであれば、この店に行くしかないと思った。年上は好きだが、年上過ぎると困る。しかし、その店には、20代の女の子しかいないようだった。大学生もいた。これは、この店は、安心、できるな、と思った。

 店に入ると、このこがよい、と言うものだと思っていたが、勝手に、このこだと店員に決められて、待合室に入れられた。他のお客さんと顔を合わせるのは恥ずかしいとはにかんだが、誰もいなかった。

 すぐに、女の人が来た。

 面長だった。人工的なにおいがした。耳たぶが薄かった。

 いろいろしてもらい、おれも健闘したつもりであった。しかし、本当にこれだけのお金を払う価値があったのかと、昨日まで考え続けていた。

 どうして、昨日、風俗に行こうと思ったのだろうか。

 欲望が、昨日、突然に噴き出したのか。淫夢でも見てしまったのだろうか。夢は、起きるとすぐに忘れてしまう性格だから、それが嘘とも真実とも、言えない。

 タイムサービスなるものがある店であった。しかし、その、タイムサービスを利用するには、先にお電話をしなければならない、とその店のホームページに書いてあった。

 携帯電話を握りしめ、少し、悩んだ。

 おれの電話番号が、風俗店の後ろにいる、悪い人々によって、利用され、最終的におれは大変な事件に巻き込まれてしまうのではないか。

 結局、電話をかけたのだが、タイムサービスは適用されません、電話でも適用されません、と店員に一点ばりで言われ続け、よくわからぬまま、それならば、いいです…と断って、電話を切った。

 結局、風俗に行かずに、コンビニ弁当食って、寝た。

 

自虐の詩と劇画漂流を読んだ

 自虐の詩を読んだ。

 泣けると言われるから、泣けるパターンを次々と想像していって、結局、そのパターンのうちの一つに当てはまっていたから、ぶわあ、と涙をこぼすわけではなかったが、やっぱり、人生には平等に意味があるというのは、ものすごく救われた気持ちになった。

 劇画漂流を読んだ。

 誠実さが積みか重ねられているからか、いつもは劇的に描かれる場面も、堅い感じがして、感動しましたーとはならないのだが、何度も読み返すだろうな、という感じだった。海外に受け入れられている理由は、当時の世相も並行して描いているからか、その描写の誠実さから、誰でも同じ理解ができるからか。

飲むと自分の浅はかさと向き合える。

 飲んでしまうと、自分の浅はかさとより向き合える。

 他人の悪口などを言う。あいつは浅い、などと言う。自分のことは言わない。だから、さも、あいつは浅はかで、自分は深い人間であるように相手をだましてしまう。自分すらも、だましてしまう。

 いやだ、いやだ、いやだ。

 結局、自分は浅はかであると認めたくない。

 認めてしまった先に、何があるのかはわからない。

 と、こんな、ポエムを書いてみる俺は、今、酔っぱらっているのである。さよなら、さよなら、さよなら。

昼に起きてしまうと、元気が出てくるのが夜になるから、いつまでも寝たくないと思う。

だからといって、眠らないわけにもいかないので、深夜に寝て、また、昼に起きる。

ひどく寒いから、外に出たくはないけれど、スーパーに行かなければならないから、出て、自転車に乗る。冷えは特に手にやってくる。手袋をしている人たちが羨ましくなる。

スーパーに行き、飯を食べ、なんとなくネットを見て、眠る。

映画をみれなくなった

 映画を家で見ることが出来なくなってしまったようである。

 眠たくなって、眠ってしまう。眠ってから、再開したとしても眠ってしまう。映画館で見たとすれば、家よりは確率は低くなるとしても、眠たくなってしまう。

 大学に入りたての頃は、映画ばかり見ていた。映画ファンと言っても差支えなかった。監督名で、この映画はこうだからと偉そうにいう事も出来た。しかし、今となっては、最後まで映画を見通すこともできなくなってしまった。

 

卒論地獄

 最近いかが、という質問をされた時、11月から卒論地獄と答えるようにしている。その中には、高学歴の人がその大学名などをすごいですねえ、と言われた時のはにかむ笑顔と似た感情があったはずだった。しかし、現在、ほんとうのことが卒論地獄だから、卒論地獄という言葉を言えなくなっている。だから、卒論の結論がまだ書けていなくてね、なんていう具体的なことを言うようになっている。

 去年卒業してしまった友人が学校に来ていて、会いたいと思ったけれど、卒論があるから、会えなかった。

 明日の授業で今までやらずに残っていた発表を4つ連続でしなければならないのに、まだ発表のトピックが決まっていない。

 そして、明日までに卒論の要旨を書かなければならないのに、結論さえ書くことができていないのに、どうすればよいというのだ。

 DAWに興味を持った。